金沢地方裁判所小松支部 昭和46年(ワ)48号 判決 1976年3月31日
原告
平田登喜子
ほか二名
被告
日下義久
主文
原告らの請求を棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
原告ら訴訟代理人は「被告は原告らに対し、各金五四一万七七三五円およびこれらに対する昭和四六年五月一六日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。」との判決を求め、請求原因及び抗弁に対する認否を次のとおり述べた。
(請求原因)
一 交通事故の発生
1 日時 昭和四四年一月二日午後一時頃
2 場所 小松市三日市地方ホ三九番地先交差点附近道路上(国道八号線)
3 被告車 被告の運転する普通乗用自動車(石五ひ六五二号)
4 被害者 訴外亡平田友信
5 事故の態様
被告は前記日時に被告車を運転し、前記場所(積雪約七糎)を金沢市方面から加賀市方面に向け時速約二〇粁で進行中、その約一〇米先を同方向に進行していた訴外亡平田友信の運転する普通貨物自動車の右側方へ進出しようとして、右に転把しながら、時速約三〇粁に加速進行したが、折柄自車右後方から大型貨物自動車が自車を追越したため、急拠左に転把した際、先行の被害車が交差点を左折するため一時停止するのを、その後方約四・四米に接近して発見し、急制動したが間に合わず、自車左前部バンパーを被害車右後部バンパーに追突させ、その衝撃により、同人に対し脳内出血の傷害を与え、右傷害により同月一六日午前一〇時二〇分頃死亡するに至らしめた。
6 被告の過失
右のように追越しようとする場所、およそ自動車運転者としては、右後方から進行してくる車両の有無安全を確認するとともに、同所の前方に交差点があつて先行車が左折するなどのため、急に停止することがありうるので、右先行車の右側へ進出するまでの間は、同車の動静を十分注視し、同車が停止してもこれとの追突を回避できるだけの安全な間隔を保持して進行し、もつて事故の発生を防止すべき注意義務があるのに、被告はこれを怠り、先行車がその儘進行を続けるものと軽信して、同車との安全な間隔をとることを考慮しないまま、漫然時速約三〇粁に加速進行した点に過失がある。
二 被告の責任原因
被告は加害車の保有者であり、かつ不法行為者であるから、自動車損害賠償保障法三条及び民法七〇九条により、本件事故で原告の蒙つた後記の損害を賠償すべき責任がある。
三 損害
1 葬儀費用 三〇万円
原告登喜子は亡友信の葬儀費用として金三〇万円を支出した。
2 得べかりし利益 九七五万三二〇九円
亡友信は昭和四年一一月二八日生(事故当時四〇才)の健康な男子であり、農閑期に日雇仕事に出るほかは専ら農業に従事し、将来も引き続き農業を継続するつもりであつたところ、本件事故がなければ少くとも満六七才迄あと二七年間就労可能であつたものと推定される。ところで、当時における同人の農業経営の実態をみると、同人は水田一町五反歩、藺田二反歩を耕作しており、家族として、母と妻子(原告三名)がいるが、母は老令(九〇才)のため、また妻登喜子は育児や家事のため、農業に従事する余裕はあまりなく、専ら友信が家業を支えてきたものであるところ、昭和四三年度の所得は、水田収入一〇六万九九〇〇円(米一三〇俵、一俵八二三〇円)、藺田収入二八万八〇〇〇円(藺草一五〇〇瓩、一瓩一九二円)、合計一三五万七九〇〇円であつたが、耕作に要する費用二七万一六〇〇円を控除すると、純収入は一〇八万六三〇〇円である。
そして、前記事情の下では、亡友信の農業に対する寄与率は少くとも七〇%を下らないものと認められるので、これに応じた同人の年次収益は七六万〇四一〇円である。
右友信の一年間の生活費は一八万円とみるのが相当であるから(農家でその生活は極めて質素であつた)、これを控除し、その年額五八万〇四一〇円を基準に前記就労可能な二七年間の得べかりし収益の現価をホフマン係数を乗じて算出すると
(年収)58万0410円×ホフマン係数16.804=975万3209円
となる。
そこで、原告らは法定相続分により、各三分の一に相当する三二五万一〇六九円を相続した。
3 慰藉料 八〇〇万円
前記のとおり、亡友信は事故当時四〇才で過去において病気をしたこともない健康体であつたこと、農業に従事するかたわら農閑期には臨時雇の仕事に従事するなど文字どおり一家の支柱であつたこと、本件事故がなければ妻子と共に平和な家庭生活が約束されていたものであること、原告登喜子にとつては最愛の夫を、原告淳、同聡にとつてはかけがえのない父を失つたものであり、それぞれの精神的打撃は筆舌に尽し難いものであること、他方被告は友信や原告に対し、これ迄何ら慰藉の措置を講じなかつたばかりか、本件について、有罪の略式命令をうけながら、なお本訴請求に対し、因果関係を強く否定して抗争していること、訴提起により既に満四年を経過し、この間原告らの苦痛が継続していたこと、更に訴状において原告らが請求する慰藉料の額は今日では既に低すぎること等の諸般の事情を斟酌すれば本件慰藉料は八〇〇万円をもつて相当とする。原告らは法定相続分により各三分の一に相当する二六六万六六六円を相続した。
なお仮に慰藉料の相続性が認められないとすれば、原告らはそれぞれ右同額を固有の慰藉料として請求する。
四 損害の填補
原告らは、自賠責保険から三〇〇万円を受領し、このうち三〇万円を前記葬儀費用に充当し、残金二七〇万円を三分し、各九〇万円を原告らの損害にそれぞれ充当した。
五 弁護士費用
被告が本件損害を任意に弁済しないため、原告らは原告訴訟代理人両名に本訴の提起もしくは追行を委任したものであり、諸般の事情を斟酌すれば、弁護士費用として、少なくとも一二〇万円は本件事故と相当因果関係のある損害というべく、原告らにおいて各三分の一の四〇万円あてを負担すべきものである。
六 よつて、原告らは被告に対し、各金五四一万七七三五円およびこれに対する本訴状送達の翌日から支払ずみに至るまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(抗弁に対する認否)
一 抗弁はいずれも否認する。
(一) 被害車のドアは完全に閉じており、被害者はあらかじめ方向指示器による左折の合図をしたうえ、左折を開始し、徐行運転中に被告が追突したものである。
(二) 被告は、原告らが本件全損害中亡平田友信の得べかりし利益につき、それぞれ金一五〇万円宛を明示して判決を求める趣旨を明らかにして訴を提起したと主張するが、原告は右一五〇万円のみの判決を求め、残余を一切請求しない旨明示したことはなく、昭和五〇年八月二一日付準備書面での請求の拡張は、同一の請求の範囲を拡張したもので、新たな請求権の行使ではないから、訴の提起により、一個の不法行為から生じ、これと相当因果関係のある損害金全部につき時効の進行は中断されるものと解すべきである。
(三) 仮に一部のみ明示した請求であるとしても、時効制度の本質にてらして、訴状に損害賠償請求権の全部について、その請求原因を明示した場合には、この訴の提起によつて該債権の全額について、消滅時効中断の効力を生ずるものと解すべきである。
被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁及び抗弁を次のとおり述べた。
一(一) 請求原因一について、原告ら主張の日時・場所において交通事故が発生した事実は認める。但し、大型貨物自動車が被告車を追越したとき、被告車は速度を三〇粁から二〇粁におとし、左に転把したものである。追突事故により亡平田友信に対し脳内出血の傷害を与えた点は否認する。亡平田は動脈瘤による脳内出血(くも膜下出血)により死亡したものである(詳細は後述)。
(二) 同二は否認する。
(三) 同三は争う。
(四) 同四について、原告らが自賠責保険を受領した事実は認め、その余は不知。
(五) 同五は争う。
二 仮に、本件交通事故と亡平田の死との間に法律上の因果関係が認められるとしても、本件交通事故は、第三者である大型トラツクの運転者(氏名不詳)と亡平田の両者の過失行為に基づき発生したものである。即ち、被告は本件事故前、亡平田の車に約一〇米の車間距離を置いて時速二〇粁(七~八糎の積雪があつたため)で追従進行していたところ、亡平田車の運転席側のドアが半ドアになつていたので、右側から追越しながら注意を与えるため時速三〇粁に加速し、道路中央寄りに進出したところ、被告の後方から大型トラツクが高速で被告の右側を更に追越してきたので、被告は二重追越の危険を避けるため時速約二〇粁に減速し、平田車に四乃至五米の車間距離で追従進行することを余儀なくされた。ところが、その時、亡平田は、左折の合図をすることなく、突然左折するため交差点内に入る直前に急停止したので、被告は直ちに急制動措置をとつたが間に合わず、被告が停車する寸前に平田車に追突した。従つて、本件事故は、前記大型トラツクの二重追越、平田車がドアを閉じなかつたこと、及び合図をしないで左折を開始し、かつ交差点内進入直前において突然停止したこと、以上の過失が併合されて発生したものであるから、損害額算定については、過失相殺されるべきである。
三 被告らは各自、亡平田の得べかりし利益に基づく損害金につき、それぞれ一五〇万円宛と明示して判決を求める趣旨を明らかにして訴を提起した。一個の債権の一部についてのみ判決を求める趣旨を明示して訴を提起した場合、訴提起による消滅時効の中断の効力はその一部についてのみ生じ、残部に及ばない(最昭四五・七・二四第二小)。原告ら主張に係る亡平田の得べかりし利益九七五万三二〇九円のうち、原告ら各自が昭和四六年五月四日付訴状に基づき請求した一五〇万円合計四五〇万円を控除した五二五万三二〇九円の損害賠償債権は権利を行使しうるときから満三年以上経過していることが明らかであるから、消滅時効により消滅した。よつて被告は昭和五一年三月一六日本訴口頭弁論期日において右時効を援用する。
理由
一 平田友信が、原告ら主張の日時場所において、原告平田登喜子と訴外細川と志子を乗せて普通貨物自動車(ライトバン)を運転中、被告の運転する普通乗用自動車に追突されたことについては当事者間に争いがなく、その追突状況については、成立に争いのない甲第六号証の一ないし七、第九、一二、一四、二一ないし第二七号証、乙第五、六号証、証人細川と志子、同吉田義栄、同宮越民樹、同桝田明の各証言、原告平田登喜子(一回)、被告各本人尋問の結果によると、次のように認められる。
被告は、本件事故現場より一〇〇米位手前の国道八号線と尾小屋鉄道踏切りと交差している地点を少し過ぎてから、平田車に一〇米位の間隔をおき、時速約二〇粁で追従していたが、不動島交差点手前約一〇数米の地点で、同車の運転席が半ドアであると思い、これを注意してやろうとし、ハンドルを右に切り、時速三〇粁位に加速して少し中央へ寄つたと思う間もなく、後方より大型トラツクが追越をかけてきたので、危険を感じ、ブレーキを踏み、時速二〇粁位に減速してハンドルを少し左に切り、平田車の四~五米後方を追従しようとしたところ、同車が左折するために人の歩く程度に減速し少し左斜めになつたので、同車が直直ぐに進行すると思つていた被告は、慌てて急停車の措置をとつたが間に合わず、自車左前に取りつけてあるクシヨンゴム附近を、平田車の後部バンバーの中央より少し右側に追突させ、平田車は始んどその場に、被告車は、前車の後方約二糎位おいて停車した。
被告車には何らの損傷もなく、平田車はバンバー中央より少し右側にピンポン球の三分の一ないし五粍位の凹みが生じたが、平田友信ほか同乗者二人には何らの異状もなく、右の凹みは修理代にして三五〇〇円ていどのものであつた。当時平田車の助手席には菓子箱、おもちやなどがおいてあつたが、追突にもかかわらずフロアにおちることもなかつた。右認定に反する証拠はない。
二 次に、右追突時点以降死亡するまでの亡平田の行動状況をみるに、成立に争いのない甲第八、一〇、一一、一五、一八、一九、二〇号証、前記第二三ないし第二五号証、証人見谷正光の証言、原告平田登喜子本人尋問の結果(一回)によると、次のように認められる。
1 亡平田は昭和四年一一月二八日生、幼児から普通の健康体であつたが、昭和三〇年二月一五日原告平田登喜子と結婚し、以来二人で、田一町三反、畑自家用野菜位を耕作し、冬期農業のできない期間は、島田鉄工所工員、除雪人夫等をし、風邪をひくのほか医師にかかることはなかつた。
2 本件事故当日亡平田は妻の原告登喜子の実家へ一泊したが、平生と何ら異なることなく、翌一月三日昼食後帰宅して自宅周囲の雪除けをなし、午後六時頃町内の者と小松駅管轄地域の除雪作業に赴いて土居原踏切で午後九時三〇分頃までなし、当夜な小松駅に宿泊し、翌四日朝一時間ほど駅の除雪をして帰宅、二~三時間仮眠をとつた後、妻と共に自宅前と畑の除雪をなし、一月五日午前中も自宅の雪囲いをした。
3 同日午後二時半頃から町内会長方の寄合に出席し、引つづき午後六時頃より新年宴会をし、午後九時頃帰宅、炬燵で横になつていたが、午後一〇時過ぎ頃、急に「ひどい、あげる」とうめき出し、その場で嘔吐し、二度目の嘔吐の時は血も吐き、五分間位意識不明となり、見谷医師の往診をうけた。その結果では、少し頭痛、手足にしびれなく、血圧一五〇と八〇であつた。
4 一月六日、七日は医師の指示により絶食し、安静を保つた。嘔吐はなく、わずかに頭痛がした。
5 一月八日、九日は少し元気が出て、おも湯と番茶を少し飲み、一〇日朝から薄がゆを食べるようになり、頭痛もなく、ひとりで用便もできた。
6 一四日工合が悪くなり寝てばかりいたが、一五日午前一〇時頃嘔吐、五分間位意識不明。頭痛及び首から腰にかけてしめつけるような痛みがあると訴え、手拭で鉢巻きしたり、サロンパスをはつたり、氷で冷やす。このとき見谷医師が頭を打つたことがないかと尋ねたので、はじめて追突事故のことを話した。
7 翌一六日外科医の診療をうけるつもりでいたところ、午前一時頃苦しみ出し、午前一時二〇分頃死亡するに至つた。
以上の認定に反する証拠はない。
三 ところで成立に争いのない甲第一七号証(鑑定人井上剛の鑑定書)によれば、平田友信の死因は、追突事故の際のいわゆる鞭打ち機序によつて招来された頭脳内出血による外傷死であるというのであり、その理由とする要旨は、脳の血管は全く正常であつて、動脈硬化症や動脈瘤などの壁の病的異常が全く認められないだけでなく、その走行についても、格別の異状がない。頭腔内出血はほぼ二週間程度以前から始まつた出血であろうと推定されるが、その頃追突されている。そして頭腔内出血が脳底部だけに限局して起つている。これはこれを惹起した外力が脳底部に限局して作用したことを示しているから、その外力が鞭ち打ち機序に基づくものであることを裏書きしているものであると考えてよい、というにある。
しかし、右鑑定書については、次のように疑問がある。その一は、右鑑定人は検察官に対する供述調書(成立に争いのない甲第二八号証)及び当公判廷における供述(一回目の一九項)において、右頭腔内出血は非常に大きな外力が作用したときに限つて出来るものである旨述べているが、本件追突時に運転手の頭部に作用する最大加速度は、鑑定人長久太郎の鑑定書によれば、追突時における被告車の時速二〇粁を前提とした場合一〇gであることが認められ、仮に右時速を四〇粁としても右鑑定の方式に当嵌めて計算すると三七gであることが認められるところ、鑑定人景山直樹の鑑定書によれば、頭部外傷で後頭部を打つた時、前頭葉に破壊を生ずるのは加速度一〇〇g以上であることが認められるから、この点からすると、平田の死亡は本件追突事故と全く関係がないことになる。また前記一で認定した追突状況にてらしても、追突時において亡平田に及ぼした外力が非常に大きなものであつたとは到底認められない。
疑問の二は、通常後頭部に打撲を受けた場合の脳挫傷の好発部位は、前頭葉の尖端或は側頭葉尖端部であることが、鑑定人景山直樹の鑑定書及び証言、証人井上剛の証言(二回)によつて認められるが、鑑定人井上の鑑定書によると、本件においては脳底部即ち前頭葉後部或は前頭葉内側に挫傷が起こつているというのであるから、本件頭腔内出血は鞭ち打ち損傷に基づくものではないのでないかとの疑問がある。
さらに同鑑定書には、動脈瘤などの壁の病的異常は全く認められない旨記載されているが、同鑑定人は「先天性動脈瘤による死亡は三〇才以後ありえない」「脳動脈瘤による生存年令は二〇才までが通常である」と信じていたことが同人の証言(二回)により認められるところ、右証言自体証人景山の証言、成立に争いのない乙第一三号証(五頁b年令分布)にてらし疑問なしとしないが、それはさておき井上鑑定人が右のように信じていたこと、しかるに当時亡平田は三九才であり、該年令は右鑑定人も当然認識していたであろうことに加えて、動脈瘤が破裂し血液が脳内に拡散されている場合、動脈瘤の有無は肉眼で識別することが困難であるとされているにも拘らず、右鑑定人は肉眼でみるにとどまつていたことが、その証言(二回)により認められるから、亡平田に動脈瘤が無かつたとは断言し切れないのではないかと思料される。
他方鑑定人景山直樹の鑑定書、同証言によると、亡平田の脳内出血は動脈瘤に基づくものと理解するのが可能性の高い判断と思われるとしており、脳神経外科の専門家である同鑑定人の所見は信用性が高い。
元来訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し狭まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつそれで足りるものと解されているのであるが、以上のような本件訴訟にあらわれた証拠を総合検討すると、平田友信の脳内出血が本件追突事故によるものか否かはにわかに判定し難い。
四 以上のように、本件事故と平田友信の死亡との間には因果関係を認め難いから、原告らの本訴訟請求は爾余の点を判断するまでもなく失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 戸塚正二)